映画版デビルマンが制作された時、その批評が散々で「絶対に見たら後悔するから、これから見ようとする奴、やめとけ」みたいなのの嵐だった。
こうなると臍曲り、天邪鬼を自称する人間は、却ってそんな評判を取る映画を見たくなるもんだけど、この映画だけは未だにその忠告に従っている。
多分、原作を知らなかったら見ていたかも知れない。
でもデビルマンについては原作も、そこから派生した多くの作品群も知っているし、それらに対する愛着もある、それ以上に創作上の影響も受けている。
つまりそういう事実にケチをつけたくないから、未だに映画版でデビルマンビルは見ていない。(ビジュアルとして冨永愛の妖鳥シレーヌにだけは未だに未練があるけど、それは「R100」での彼女の女王様ぶりを見てみたいというレベル)
最近では、映画版ガッチャマンがややそれに近いらしいけど、こっちの方はDVDが出たら野次馬根性で見るだろうと思う。なぜなら原作にそれほど思い入れがないから(笑)。
・・・そういうものだと思う。
だからモノを創作する人間は、自分がやっている事を軽く見てはいけない。
もっとも軽く見てはいないけれど、力量不足でまともなものが作れないとゆー事もあるから、そういう場合は、全身全霊で創作活動に当たることしかない。
決して自分の能力に慢心したり、相手をなめてはいけないのである。
って今日はえらく肩肘張ったもの言いで始めちゃったけど、前言をナノ単位で翻すようなおちゃらけテキストで、ある映画をご紹介します。
それは「ダークナイト・コレクター」、70分もある作品。
ってかこの内容で70分も撮れた事に感心してるんだけど。
ってかこれを最後まで見た自分に感心してるだけど。
(まあ本当は早送りのお世話になってるんだけど。)
話は端的に言って、電波女性達が拉致って来た青年への強制女装(女性化)物語。
「電波」の部分が捻り所なのかと、好意的にわざわざ深読みまでして見るんだけど、どーもそうでない見たいだし、現実とフィクションの境目を曖昧にする事によって何かを伝えたいのかと思えばそうでもないみたいだし、、。
うーんビジュアル的には、数種のジャンルの倒錯AVでよくあるシーンを、ドラマ仕立てで繋いであるって感じなんだけど、エロ度、本物の度で、AVに叶うワケもなく。
「一体何をしたいんだろ、これ?」って感じ。
でも強制女装のプロセスで青年のオチンチンが枝きり挟みでちょんぎられるんだけど、その手当てに付けた局部包帯がそのまま「マエバリ」になったりと、随所の細かい部分に妙に知恵が回ってて、作劇的には大きな破綻がないとゆー、なんとも不思議な作品でもあるのね。
主人公が化粧を施されながらうっとりしはじめたり、鏡を突きつけられてナルシスな瞬間に浸ったり、女性陣のペニバンの使い方(腰使いとかペニバンイマラとか)が、女王様AVそのもののパクリだったりと、妙なツボがきっちり押さえてある所がこれまた不思議。
で、「ああ、これってもしかしたらソースはみんなAV?」って気がついた。
現実の変態は、AVの世界に転化され、AVの中の工夫で生まれたプレイは、現実の変態にフィードバックされてってゆーのが、実際のエロエーテルの循環なんだろうけど、この映画は現実の変態をすっ飛ばして、あまたのAV情報だけで作品を作ってるんだ!!って。
でも映画の「ゼログラビティ」なんかも、よく考えたらそうなんだよな(笑)。到達点と「志」が全然かけ離れてるけど。
作品の冒頭ヒロイン・テレンスの台詞回しに妙な大阪弁が混入してて気持ち悪くなり、テレンスが青年のオチンチンをさも気持ち悪げに触るシーンで、男性拒否症が原因でデンパなのと思わせながら、連れ戻された青年を「愛してるから」みたいな感じで追っかけるシーンとか、なんだか軽く思いついたような事をグデグデ突っ込む厚かましさとか、色々その設定本気?なのってのが気になって、全然、作品世界に没入出来ないのね。
これなら普通のコアな変態AV(変な言い方)の方が、よっぽど潔くっていいよってのが結論なんだけど、でも強制女装(女性化)物語の初心者版・入門編だと思えば、一通りの変態コースが揃っているのも確か(笑)。
自分がそうだって思っていらっしゃる方には意外とお勧めかも。