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ジョン・ウィリー 心と肉の血脈  (Wikipediaより編集)

 ジョン・ウィリー (John Willie 1902年12月9日-1962年8月5日)はアメリカ合衆国で活躍したフェティッシュカメラマンおよびボンデージアーティスト。本名はジョン・アレクサンダー・スコット・コッツ(John Alexander Scott Coutts)
 シンガポール出身で1930年代までイギリスで育つ。1947年か48年まではオーストラリアで生活しており、絵画の技術を身につけたのもその頃だとされる。
 1946年から1959年まで発行された「Bizarre」を主宰し、ニューヨークで話題の人物となった。
 「Bizarre」はノー・ヌード、ノー・セックスを掲げ美しい女性の拘束された写真やイラスト、ストーリーを掲載した。必ずしも裸や性行為をあからさまにしなくてもフェティッシュなエロティシズムを感じることのできる購買層が熱狂、出版側も規制対象となるヌードを外した後にボンデージマグと呼ばれる類いの雑誌を刊行し、ボンデージというジャンルを確立させた。 この「Bizarre」はアービング・クロウなどのフェティッシュなカメラマンを生むと同時に、エネグ(ENEG)やスタントン(Eric Stanton)などのボンデージアーティストを輩出した。
 彼自身もボンデージマニアとして美麗なイラストストーリーや小説を発表している。その中でももっとも有名なのが「スウィート・グウェンドリン(Sweet Gwendoline)」のシリーズである。正確なデッサンにもとづくこのイラストストーリーは評判となり、多くの派生作品や後継作家を生みだした。
 一方で「Bizarre」に寄せられたウィリーの妻の告白文がでっち上げであると告訴されるなど、経営に苦しむと同時に、テネシー州から起こったポルノ排斥の動きに押されたうえに、脳腫瘍を患い「Bizarre」をアービング・クロウにまかせ、イギリスに戻り1962年に死亡した。
 女性の縛られる姿を好んだウィリーは、数多くのロープワーク解説のイラストを残している。またコルセットなどにより「蜂の胴」とも言われる細く締め上げられたウェストを好み、自筆のコミックでは、最後には胴が消えて無くなるまで細くダイエットする女性の姿がコミカルに描かれている。また、ポニーガールというテーマも好み、「The Magic Island」、「From Girl to Pony」という挿絵入り小説では、馬として使役される女性の姿を描き、同好の士を大いに喜ばせた。

 そして ベティ・ペイジ

 ベティ・ペイジは1951年からアービング・クロウと出会い多くの写真を残した。アービング・クロウが「カートゥーン・アンド・モデル・パレード(Cartoon and Model Parede)」、「Bizzare」等のボンデージ系雑誌の発行に携わっていたため、ロープや拘束具で縛られた写真が多かった。
 写真はストリップ小屋の脇で売られるような好事家のみの興味の対象だったがその豊かな胸と肉感的な脚線美が評判となり、人気が出た。
 並行してオールヌードのモデルも続け、1954年にはニューヨークにおいてトップのピンナップガールとまで称された。
 もともとのボンデージ・マグの読者には「ボンデージ・クィーン」などと呼ばれた。表舞台にも登場し、1955年にはPLAYBOY誌にも載っている。
 ベティが人気になると彼女をモチーフにしたポルノコミックなども出版され、人気に拍車がかかった。
 同時代に全盛期を迎えていたマリリン・モンローと比較されることが多く、ベティは『裏マリリン・モンロー』と評された。

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ベティ・ペイジ

‘裏マリリン・モンロー’の数奇な人生に迫った話題作
アメリカン・ドリームの陰でセックスが抑圧され、語ることさえタブーであった50年代のニューヨーク。ある時はヌードで、ある時はボンデージファッションやランジェリーに実を包んで男たちを虜にした女性がいた。50年代のアメリカで活躍した伝説のピンナップガール、ベティ・ペイジの素顔に迫った伝記ドラマ。‘裏マリリン・モンロー’と呼ばれ、人気絶頂の最中に表舞台から忽然と姿を消したベティの知られざる真実を描く。