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 テレビを眺めていての取り留めない雑感を書いてみる。勿論、chikaのフェチアンテナに引っかかる微妙なラインのものだけが対象だけど。

 最近ではサントリー烏龍茶のCMで、西遊妹妹が唄う「ペッパー警部」に合わせて踊る妙にトランセクシャルな悟空と三蔵法師の「ナノナノ編」がお気に入りだ。
 特に、長身で大柄な身体からニョキッと突き出る生足が、ボデコン風の法衣のスリットから見え隠れする三蔵法師はエロ。
 シーメール物の洋ピンで、90年代ハードロックに合わせて腰振りダンスをしながらオナニーするマドンナ似のシーメールを仰角で撮ったのがあったけれど、なんだかそれを思い出した。
 それに美少女がコスプレしてるように見える悟空も微妙に妖艶。
 こちらは、まだ身体にあまり手を入れていない若いニューハーフが、ショータイムで高い身体能力を生かしたダンスで観客を魅せているシーンを連想させちゃったりして。

 そうそうコスプレと言えば「クールビューティ」なんてゆー微妙な言い回しをマスゴミから押しつけられちゃった荒川静香ちゃんが帰国後に出演したシアター・オン・アイス2006で身につけていたピタピタ・テカテカの黒スーツもゴックンだったなぁ。
 ラバーフェチの我が身からすると、ここまでやるならいっその事、海外のビザールファッションショップで全身ラバーキャットスーツを購入してスケーティングすればとか思ってしまうんだけど(黒光りするラバーで全身が覆われたイナバウワーなんてゾクゾクするんじゃない?)それはちょっとエロ過ぎになるかな。
 
 とまあここまでがビジュアル編、ストーリー編で気になるのは「夜王」かなぁ。尤も、chikaが気にしてるのは昔からご贔屓にしてる若手怪優のナンバー1の北村一輝なんだけど、「ホスト」ってゆー生き方も面白そう。
 (ここでいう生き方って正確には実態じゃなくて物語化される部分のという意味ね。いわゆる「刑事ドラマ」で社会に流布される刑事イメージに該当する方)
 ニューハーフに拒絶反応がないのは圧倒的に女性(営業の場面では、と、ひとまずことわりを入れておくけど)だとゆーことを考えると、ホストもある意味、ニューハーフに近い存在かなぁと、、、。
 つまり、両方とも、ジェンダーロールを操作することで成り立っている職業なわけなのよねぇ。
 女性から見ると、ニューハーフはある意味「男を緩和」した存在として見なすことが出来るし、ホストは「男を強化・エクステ」したものだと思う。
 勿論、ここでいう強化・エクステの対象となる「男」って、石原都知事なんかが見せるマッチョぶりじゃない。
 まず男としての「格好良さ」が圧倒的に違うし、第一、傷つけられることはあっても癒されることなどあり得ないから石原慎太郎はホストの対極にある男と言っていいだろうし(笑)。
 まあ、冗談みたいに書いているけど「金と女は権力のもとに集まる」という事実と重ねて考えると、ここの所は、凄く重要なことなのだ。
 だってホストクラブに行ってお金が使える女性が関わっている世界は、それとは正反対の「マッチョな男社会」だからだ。

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 マッチョな男社会に関わって生きている女性と言えば、chikaの相方もそうなのだけれど、先日、この相方と一緒に、「のれんの町」として知られる勝山のお雛祭りに出かけた。
 大阪からだと勝山までは4時間近くかかるので、昼食は入浴付きで、山里料理で有名な湯原温泉の「八景」でとった。
 八景の大浴場に入ってビックリしたのは、露天風呂の湯船にタイル張りの寝椅子が沈めてあったことだ。
 この寝椅子に横たわると丁度、胸元だけが空気にさらされる事になる。心臓に負担が少ないので長湯が出来る嬉しい工夫なんだけど、この日は昼食ができるまでの時間待ちだったし、chikaは身体の一部が部分的にひんやりするがいやなので、胸にタオルをかけて寝椅子に横たわることにした。
 そんな姿勢で自分の身体を改めて眺めてみると、横たわっても潰れることのないお椀型の乳房、、お湯の中で漂っている萎びたペニスが嫌でも目に映る。
 そうなると普段忘れている強烈な現実感が襲ってくるわけ。ホストクラブに行きたくなるのは、このなんとも言えぬ「現実感」からの逃避なのかなぁと思ったり(ちなみにchikaがお水世界で特殊なのは自分に「小説」があるからなのだろうと思う。)、、、。

 ニューハーフの矢木沢まりさんのサイトには、テレビ番組の「響鬼」が始まった頃からよく遊びにいっている。まりさんも「後半響鬼」の変貌振りに落胆された方のおひとりで、そのせいかどうかは知らないけれど「カブト」になってからは、仮面ライダーに関する記事が減って、その代わりのように、文字通り、まりさん自身の「変身」記事が結構増えている。
 中でも特に「もう、男には戻れない」シリーズに寄せられたコメント欄での”女への変身熱から冷めてしまった後の、「ニューハーフ」でもなく、かといって男でもない、宙ぶらりんな状態について”の会話は身につまされる部分があった。chikaが怯える現実感とは正にそれだ。

 そんな諸々を考えながら、湯船に浸かっていても気持ちはちっとも楽に成らないのだけれど、それでも温泉って凄くて、凝り固まった筋肉やチリチリささくれ立った神経が解けて行く。
 露天の窓から見えている空にはもう春が忍び寄っていた。何処からか木蓮の甘い香りもただよってくる。いつまでも冬じゃない。
 個人の物事に対する情熱や現実認識も含めて、総ては変わっていくのだと思う。
 変化を止められるモノはなにもない。人の生が「河の流れ」に例えられるのは、河が、時に静かに、時に荒々しく貌を変え、そして精神的な停滞・死である「淀み」さえも、川の貌の一部として含まれるからだろう。
 現在、新宿歌舞伎町だけで100軒のホストクラブがあるのだそうだ。そこで働くホストの数が約2000人。
 chika達だって肌身に感じざるを得ないこの不景気の中、一本何十万もするボトルが毎夜飛び交う世界。虚飾のうつろな世界と言えばそれまでだけれど(規模の差はあるだろうけれど)かって、この様な「貌」を見せなかった社会も時代もない筈だと思う。
 それが人の生なのかしらんと最近、つくづく思ってしまう。