62585932.jpg


3b6e3055.jpg
 森下くるみの「男根少女」と『バッド・エデュケーション』の二本を日付変更線をまたいで見る機会があって、ちょっと鬱な気分になってしまいました。
 「男根少女」の方は、お客様が持ち込んだもので、女性がアイドル女優の写真を持って美容院にいくみたいな使い方で、「こんなプレイね」って言うリクエストだから罪がありません。
 「男根少女」に登場する森下くるみの偽チンポ付き美少年になりたいなんて、中年叔父様には無理があるけれど、その気持ちを理解してサービスして差し上げるのがchikaの売りだから、敢えて風見京子扮するエロ蜥蜴を演じますわよ。
 それに包茎を剥いて恥紅を舐め取り言葉責めするなんてのも、演技でやる分なら結構刺激的だしね?。
 乳首を責めながら、したたるカウパー、飛び出すザーメン!
 本物の使い込んでずる剥け黒光りする殿方の使い込んだペニスを、美少女が付けるぺに番に見立ててのSMプレイって二重三重の倒錯で楽しすぎです。久々にクリエティブな時間を過ごしました。


 問題は自分の部屋で見たペドロ・アルモドバル監督の『バッド・エデュケーション』ですね。監督の半自伝的物語を映画化したというこの作品。
a7a00880.jpg
 ホモの兄弟物だけにちょっと身につまされました。まあスチール写真じゃも一つ綺麗じゃなかったガエル・ガルシア・ベルナルの女装姿が動き始めるとかなり綺麗(衣装はジャン・ポール・ゴルチエ!!)だったのが救いだったんだけれど、、、、。

 新進気鋭の映画監督エンリケ(フェレ・マルチネス)の元に、神学校の寄宿舎で共に少年時代を過ごしたイグナシオ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が訪ねてくるところからこの物語は始まります。
 いくら少年時代に別れたとはいえ、幼い頃の面影が全くないイグナシオにエンリケはとまどうのですが、彼が持ち込んできた「訪れ」という自筆の脚本には、幼い二人しか知らぬ筈の同性愛の秘密と、彼らの仲を引き裂いたある神父の実体が暴かれていました。
 イグナシオは、この脚本を元に、自分を主役である女装美女サハラとして映画を撮ってくれとエンリケに頼み込み、ついに映画はクランクインします。
 しかし青年イグナシオを少年時代のイグナシオ本人だとはどうしても思えないエンリケは、事実を確認すべくイグナシオの故郷を訪ねそこで隠されたある真実を知る事になります。

 とまあこんなミステリー風のストーリーなのですが、例によってアルモドバル監督の映画で謎解きがメインの筈もなく、ここで青年イグナシオの正体を書いてもなんの問題もないと思いますのでネタバレしちゃいます。
 イグナシオはエンリケと別かれた後、豊胸手術と整形を施し、同性愛者というよりはシーメール(ニューハーフと言った方が判りやすい?)の道を進み、完全に性転換するための費用を捻出するために、幼い自分を犯した神父を脅迫していました。
 そしてエンリケの目の前に現れたのは、実はこのイグナシオの弟だったのです。では何故この弟が、兄が書いた脚本を自らを兄と偽装してまでエンリケの前に現れたのか、、、まあ、いくらなんでも此処から先は書かないでおきましょう。

0adfb7b9.jpg
 とにかくこの映画はそんな謎解きに沿って一応話は進むのですが、そのコアは幼いイグナシオを愛しすぎた神父が、彼の恋人であるエンリケ少年に嫉妬するくだりや、エンリケ少年がイグナシオを庇おうとする場面などに現れる性別や年齢差を超えた愛の描写にあります。
 それにイグナシオの弟・アンヘルが、最初、ヘテロで登場したのに、神父にバックを陥落されてホモの味を覚えた途端、今度は悪女みたいに神父を操る側に変化する下りや、同じく彼がヘテロ然とした態度で、同性愛者のイグナシオを焦らすあたり等のモヤモヤ感なんかは、アルモドバル監督ならのものでしょうね。
 自分のアナルに相手のペニスを自ら能動的に導き入れて、快楽を吸い出すように楽しむイグナシオ(サハラ)のシーンなんかは、邦画の映画・AVにはあまり見慣れない視点ですね。こういうのを見ると、自分の性欲を裸にされたようでちょっと恥ずかしくなります。
 この映画を見た後、少し鬱になった原因を振り返って見ると、兄のイグナシオがエンリケとの出会いや神父からの性強要行為で女性的役割を自覚した同性愛者として目覚め、やがて性転換に走った事実と、同性愛者の肉欲を利用するけれど本質的には同性愛者ではないアンヘルの在りようが、chikaの家族の姿にかぶってくるからではないかと気が付きました。
 アンヘルが映画の中で、女装したサハラを演じ、兄イグナシオに思いを馳せて嗚咽するシーンが、chikaにとってのこの映画の唯一の光明です。
 そして幼いイグナシオとエンリケが、映画館の闇の中で仲良くスクリーンを見ながらお互いのペニスをこすりあうシーンの儚いときめきと肉欲が、残酷な時の流れの中にあって、より輝きを見せる人生の不思議に感動しました。