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 宝塚歌劇を思わせる、ほっそりとして妙にきつさのある原史奈の「くの一」姿が、chikaのレズ心を刺激して、水戸黄門スペシャルなんて普段見もしないものを、思わず最後まで見させてしまった。

 由美かおるのお娟が旧世代のお色気「くの一」なら、原史奈の「桔梗」は新世代「くの一」になるのかも知れない。
 結構、荒縄に縛られ吊されて拷問にかけられることが多いお娟が脂の乗ったM女なら、桔梗は素人ぽさが覗く新人女王様って感じ?

 って事で今日は、女忍者あるいは、くの一フェチの話題です。
 まあ「尼さんフェチ」と同じで、厳密な意味では「フェチ」という言葉遣いが適当じゃない領域なんだけど、尼さんとかくの一には殿方のスケベ心をいたく刺激する「何か」があるのは確かなようで。

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 例えば映画なんかでも「くの一」とくればそのタイトルは、「緊縛忍法帖 くの一姉妹」だとか「くの一忍法観音開き」だとか(笑)ね。
 「くの一忍法観音開き」は1976年の東映作品なんだけどカルーセル麻紀ねぇさんだとか、男を太ももで絞め殺す技だとか、、そう、、殿方が想像するような猥雑で奇妙な「くの一」とその技ががたっぷり登場するんだそうで、、大昔から一緒なんですねぇ、、「くの一」、、一体これは何故なんでしょうか?
 ひょっとしたら斎藤環氏の戦闘美少女論に新しい視点を付加するする切り口かも、、なんちて、でもくの一のイメージって、強いのは強いんだけどファリック・ガールズ(ペニスを持つ少女)と言うよりも、常に悲劇的で最後には結局強い者に組み敷かれるイメージがあるのよね?。

 それとくの一と言えば言わずもがなの山田風太郎氏です。「くの一忍法帖」には、薄墨友康なる輩が登場します。彼の「くの一化粧」なる忍法なんかは、女の体液を吸ってその女に変身!吸われた方は45日間半病人となるんだそうです。
 こうして、思いつくままにくの一関連のイメージを並べてみれば、血と肉と死を纏ったエロスがイコンとしての「くの一」の本質なのかなぁと思えて来ますよね。

 それにつけ加えるなら「身分・階級」と言った社会的なものに、付随した性的で猥雑なイメージかな。くの一のコスチュームと言えば、ミニスカートを思わせる半纏にレオタードを思い浮かべる、、、それぐらい想像上のイメージが先行した職業(身分・仕事)も、珍しく思えるのだけれど、それでも「武士>忍者>女忍者」ぐらいの認識はみんなに働いているように思う。
 あるいは、身分としてかなり低い位置づけにある存在とまで意識していなくても、くの一が普通ではなく「異種」である事は一般的に認知されていると思う。
 低い身分や「異種」に対する差別とある種のエロテシズムがない交ぜになったような感情が、日本文化の中には含まれているのではないか?とまあそんな気がするわけですね。

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オタク文化だとか高度情報文化だとか言われると、日本の文化は果てしなく「個」の単位に縮小・先鋭化されて、家制度だとか過去の社会構造から一気に解き放たれて行きつつあるように錯覚してしまうのだけれど、実際はそうではないんじゃないかと。
 ニートだって引きこもりだって、「個」の存在が必要以上に先鋭化していくくせに「家」の価値観だとかそういった従来の「日本」を中途半端に引きずっているから生まれて来る側面があるって気がする、、、ってちょっと話が大きくなりすぎか(笑)。
 
 chikaがSF少年しながら自らの性の在りようと欲望に煩悶していた頃(要するに女の子になっておちんぽなめたいかも、入れて欲しいかもって本気で思い始めていた頃)山田風太郎氏の小説広告が新聞の片隅に掲載された事があって、今でもそれが妙に記憶に残っています。
「牛の皮を剥ぎ嘗めして作った忍び装束を身に纏い、牛の子宮で作った伸縮自在の頭巾で顔を覆った忍者軍団が江戸の闇を走る。」たぶんそんな感じ。

 でここからはchikaの当時の妄想です。
 屈強な忍者軍団の中に華奢な身体をした「くの一」が一人混じっている、、「くの一」がメリメリと革の全頭マスクを脱ぐとそこには女とも少年ともつかぬ妖艶な顔が現れ、彼は毎晩その顔で仲間達の精を飲み干し受け入れ、己のくの一化粧術に磨きをかけるのであった。・・・みたいな。勿論、その「くの一」はchika。

 ううう、原史奈ちゃんにそんなマスク無理矢理被せてレズして征服したいなぁ。最後はマスク付けた原史奈ちゃんの顔面にアナルを中心にした顔面騎乗でフィニッシュ、、ちょち、欲求不満のchikaでした。