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 NHK大河「義経」に、能子役で出てる後藤真希って、あんなにギリギリと十二単衣に日本髪ボンデージされちゃ、さすがにアイドル馬鹿としての粗の見せようもなく、そういう意味では能子って美味しいキャラぢゃんと毒をはいてたら、後藤真希の「しっかり鼻と大きな目」繋がりで、内田有紀を思い出してしまった。

 もっともアイドルとしての内田有紀に特別な思い入れがあったとゆーわけでもなく、彼女についてはつかこうへいの「新・飛龍伝」で神林美智子役を演じたことぐらいしか印象がない。 実をいうと内田有紀が2002年に吉岡秀隆と結婚したことさえもピンと来ていないのだ。
 ・・で、どーして今更、内田有紀なのか?という事なのだけれど、chikaの中では元アイドルの内田有紀ではなく、映画「キャッツアイ」で半端なボンデージ着てた「愛」の姿が刻印されているからとゆー事なのだ。

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 「キャッツアイ」は、1997年に林海象が北条司の原作漫画を実写化した映画である。キャスティングは、 三女・愛に内田有紀、 次女・瞳に稲森いずみ、 長女・泪に藤原紀香というメンバーだ。現在では入れ替わっていると思うけれど、この時点での人気や勢いの面から言ってどうみても3姉妹内での主役は内田有紀だった。
 映画としては酷評だらけで、この作品を誉めた文章をchikaは見たことがない。では何故そんな映画を取り上げるのかと言うと、映画「キャッツアイ」が、内田有紀、稲森いずみ、藤原紀香3人のボンデージルックを堪能できる貴重な作品だからだ。

 1992年公開のティム・バートン版バットマンでミシェル・ファイファーが演じたキャットウーマンのピチピチコスチュームは、ビザールボンデージファッションが表世界へ表出する為の突破口を開いた。今でもミシェル・ファイファーのキャットウーマンの強烈さは色褪せる事もなく多くの人々の記憶にあると思う。
 しかし日本でのビザールボンデージファッションの扱いは、その淫靡さ故に、まだまだ日の目を見ない状況が続いていた。その中で、三人のアイドル系の女優たちが、この映画においてその身をボンデージファッションに包んだのである。
 chika的にも、この映画は自分の変態史の中でモニュメント的な意味を持つ作品である。・・・そう、今でこそ公私共にどっぷりとはまり込んでいるラバーの世界。その入り口に、一歩足を踏む込みかけた頃が「キャッツアイ」という映画の公開時期に重なっているのだ。(この映画には「キャッツアイ」の写真集を購入するほど入れ込んでいた。)
 内田有紀達が映画の中で付ける猫耳付きエナメルオープンフェイスマスクは、chikaが使用する自分の頭に完璧にフィットするオーダーラバーマスクとは本質的な違いがあるけれど、娯楽映画として多くの人々にそのビザールな形状と質感を晒したことの意義は大きかったと思う。(もちろんフェチ者にとってという意味だけど)

 あるいはこの映画、ラバーやPVCやエナメルなどのマテリアルによって、自分の身体のプロポーションを極限までハッキリと浮かび上がらせ、羞恥とナルシズムの境地を見い出す快楽と、結果として出来上がったその姿をエロチックな「ファッション」として捉える感覚の微妙な狭間を知る上でも参考になる映画かも知れない。
 ラバーフェチ者の性的対象は、(ラバーをまとった異性・同性を抱いたとしても)結局は「ラバー」に密封された自分ないし「自分の姿」であることが多い。
 つまりフェチ者にとっては、ラバースーツをいかに自分の身体にフィッティングさせて、自分自身を「美しいフェティッシュ」そのものとするかが、大きな目的となる場合が多いのである。
 映画「キャッツアイ」はそういったフェチ世界の産物ではない。産物ではないが、上に上げたようなフェチ者特有の身体感覚は充分に理解された上で、「衣装」がデザインされているように思える。

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 この映画の衣装デザインを手がけたのは伊藤佐智子氏である。プロフィルによると:

 広告、映画、舞台の衣裳デザインを中心にオーダーメイドシステムによるデザイン活動を展開。衣裳デザイナー、スタイリストとしての活動はもとより資生堂などコスメティックをはじめとする、数々の新商品開発、商業施設のスペースデザイン、ビデオクリップのディレクターと、活動は多岐に渡る。コム・デ・ギャルソン青山店にて既製服ブランド「ITO SACHICO」を発表(’91?’93)、総合ディレクションを手掛けた展覧会「SARACA VISION」(資生堂ギャラリー’03)は多くの話題を呼ぶ。又、台湾国立故宮博物院における展示・映像企画「歴史典蔵的新生命」へ日本代表として参加(’04)、映画「狸御殿」鈴木清順監督作で衣裳デザインを担当する(’05)等、鮮度の高い表現で常に新しい方向を提案する。

とある。氏の仕事の一端をご覧いただきたい。ファッションとボンデージの境目で鬼ごっこをしてる「理知」の姿が少しは見えないだろうか?