ドール!ドール!ドール!血と肉を。


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 chikaが大谷氏のコメントに衝撃を受けた早朝のニュース番組で、再び大谷氏が奈良の事件について解説をしていた。
 司会者が「大谷さんはこの前のコメントでネット上で非難の集中砲火を浴びているのですが」と前振りをすると、大谷氏は「誤解が多いようだから補足をしておきたい」と簡単に説明。それは中身があるともないとも判断つきかねるぐらいの短い説明だった。
 ・・って言うか「オマエらなんか端から相手にしてない」って感じ。そのことは釈明めいた言葉のすぐ後に「狙うんだったら身長130cm以下という書き込みをするような奴ら」というショートカットな発言があって、これは大谷氏の方も相当頭に来てるなという感じさえした。
 ネット上では氏への公開質問状が出ているみたいだけれど両者は端から「立ち位置」が全然違う模様。
 だいたい「オタク」という言葉自体の定義の問題から既に違うみたいだ。(勿論、世間は大谷氏の使う「オタク」を圧倒的に支持するだろうが)

 まあこの話題自体については、蝦頭内でここ数日の内に幾つかのテキストを書いたのでいったん凍結して置こうと思う。尤もこれから書くことは奈良の事件に繋がって行かざるを得ないと思うのだけれど、、。

 今日は、読者の方が「蝦頭」で書かれているテキストに対する目測を誤るといけないので、chikaのそれぞれの分野におけるオタク係数とフェチ係数を書いておきたいと思う。(世の中では十把一絡げになんでも「オタク」「フェチ」ってまとめる傾向があるけれど、そーゆのって普段は便利でも、こんな事件が起こった時には誤解の元だと思うから)
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 まずはアニメ二次元、中でも「美少女」についての距離。最近のアニオタに供給及び自生する「彼女達」は、計算尽くで綺麗だし可愛いと思う。
 絵柄としては生理的に駄目だけれど、時々、日本橋を歩いていて出くわすポスターとかのビジュアルがある種の完成の域に達しているのは認めざるを得ない。何か見ているとその絵からは「毒」さえ感じるほどだ。でもchikaにとってはその毒は「きしょさ」の最大原因だし、それらに没入できる人々の感性も嫌いだ(好き嫌いで書いた方がいいでしょ)。

 所詮、世の中は(chikaみたいな存在も含めて)男と女しかいない。恋愛は高濃度高密度の人間関係だと思う。今日も何処かで女が男の前で嘘泣きをし、男は二人の女に二股をかけている自分の姿ににんまりしながら苦悩の表情を装って見せる。
 今の男のペニスをしゃぶりながら別の男の事を考えている女もいれば、女の肩を抱きながら「ひょっとして俺はゲイなんじゃないか」と同僚のAの事を思い浮かべている男もいる。不倫相手の男の整髪料の臭い、女の白いコートの背中についた一本の長い抜け毛、、胃を荒らした女の口臭、、etc。
 有頂天になる時もあれば打ちのめされることもある、それが人間関係。そういったリアルから待避する状況をさして「2次元コンプレックス」が成立するのなら、、非難するつもりはないけれど、それはあくまで過渡的なものであって欲しいと願っている。

 次にフィギュア。chikaは何度も書いて来たけれど、自閉的でナル傾向のある人の「人形」への耽溺は危険だと思っている。人形は「妄想」を急速に倍加させる触媒だからだ。 芸術・鑑賞・愛玩・自己の投影、、、そこで踏みとどまるほうがいい。もっともそれ以上、逝ってしまう人間、つまり対象であるフェチ・人形からも離脱して「妄想人形」に走ってしまう人の事をフィギュアフェチと呼んでいいのかどうかよく判らないのだけれど。

 このサイト、ダッチワイフの中に女性が入っている。この世界の作り手は男性だから、ここで繰り広げられる妄想は「男性性」のものだ。彼はダッチワイフの中に密封した女性が好きなのだろうか、それとも血肉という中身の詰まったダッチワイフに興味があるのだろうか、あるいはその両方?
 ふとピノキオの物語を思い出す。人間になろうとした人形の物語。かって世界は神様と人間と人形がいて、人形は努力して感情を得、神様の許可のもとに人間となった。
 現代は自らの存在を確かめる為に、逆説的に「人形」になろうとする人間の物語が流行している、、、、しかし、それは「人形と人間の区別をつけられない」あるいは意識的に混同したがる「新しいシナリオ」が誕生するよりは、すっと救われる幻想なのかも知れない。

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 そしてオタク、、chikaは自分の事をオタクだと思っている。勿論、一般的に思い描かれるようなオタクとは風体はまったく違う。
 でもオカマバーで世慣れた馬鹿を演じる事は出来ないし、一日何人も見知らぬ客をとることもchikaの精神構造では無理だ。それは甘いとか未成熟だとかとは違う所に原因がある。
 シャイでナイーブだなんて言うつもりはない。chikaだってお客さんの人間観察はするしその時々の営業上の戦略だって瞬間的に立てられるのだから。でもただそれだけの話でそれ以上の事には興味がない。出来るなら「自分の世界」の中で完結出来る生活を続けて行きたい、ただそれだけだ。
 これだけでオタクの条件の半分以上は満たしているはずだと思う。
 ただし、猛々しい愛に身体を蹂躙された記憶は、今でもこの世は血と肉の重力が支配している事をchikaに思い出させてくれる。
 映画・マトリックスのような意識と肉体の分離が可能で、それを前提とする世界観が、いつからこの世界に遍在し普通に受けいられるようになったのだろう。chikaには正確な所は判らないが、人はいつだって意識のある肉袋に過ぎないのだ。

PS 「意識のある肉袋」にリンクをかけてあるサイト、昔から知ってるんだけど、時々吸い寄せられる、、。死を写して生を描く?そんな感じ。
追記
上のイラストはchikaがお気に入りのCGサイトのJeff Cordovaさんちのものです。勿論登場するシシーボーイは碇シンジ君です。アスカとかはS的要素以外、原作イメージが跡形もないですね。ここのテーマは「ラバートランスと加虐と被虐」なんちて勝手に位置づけてます。「アスカがシンジに着替えたら」,,,このお題は又、今度。