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 今日のテキストは徒然なるままに日記風、ってそれが平均的なブログの形なのかなぁ。実を言うと今日取り扱いたいのは「ショタ」なんですが、chikaはこーゆーの凄く苦手なんです。
 特にリアルなショタコンと言うのかな、例えば『僕、▽▽のTVCMに登場するジャリタレの○○君が大好きなんだよね、○○君の○○なめたら』とか、、って奴です。

 でも蝦頭の目的はフェチ全般を研究して人間存在の理解を深めるという「大それ」かつ「エロ」なものだし、「ショタ」も外すわけにいかず、、、そこでサササッと日記風にさりげに通り抜けたいってわけです。
 そこでご紹介するのが「怪奇鬼太郎劇場」。こういうアプローチは好きですね。いやchikaとしては大好きです。はい、これならうっとりと萌えます。たとえそのコアに別なものがあったとしても許せます。性犯罪と性的妄想の区切れ目は「想像力」の質だと思っていますから、。

 よく妄想系のアダルトなサイトの入り口には「想像の世界と現実の世界を区別できない方はお帰り下さい」って張り紙があって、世の中ではその「区別する力」を、理性だとか常識と呼んでいるみたいだけど、chikaはちょっと違うように思うんですよね。
 「理性が妄想を制御する」みたいな単純な対立じゃなくて、想像力の中には、最後にはリアルな犯罪に流れていってしまう質のものと、絶対にそうならないものの二つがあると考えた方が良いのではないかと思うんです。
 性に絡んだ犯罪が起こると必ず「犯人の部屋には大量の○○ビデオや書籍が、、」なんてのが今や報道の恒例なんですが、実際の所、そんな人って大勢存在するわけですよ。
 それなら彼らが全員性犯罪の予備軍なのかっていうとそうではない。更に彼らは己の中に沸き上がるどす黒い妄想と欲望を日夜必死になって「理性」の力で押さえ込んでいるのかというと、まったくそんな事はないワケでしょ。(どちらかというとエンジョイしてたりして)
 結局、一人の人間が自分の内の中に育んで来た「想像力」の質の問題なのだと思うわけです。
 そこのところは、chikaにとって「表現」というキーワードも兼ね合わせて凄く大事なテーマなんですよね。

PS 蝦頭でご紹介させて頂きました長靴フェチサイトのオーナーであるMacさんとの交流が続いています。今日の話ではありませんが、chikaは「想像力と表現」の考察時には、こういった触れあいや尺度を大切にしています。

 多くのフェチ者が毒林檎に手を出さず、フェチによる楽しみ多い人生をエンジョイされる事を願っています。