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?フロイトは夢をわからなかった。夢のなかに‘夢の自我’があるのだ。by ユング?

・・いきなりですが、でも今回のテキストは夢を心理学的に語るものではありません。現在、最新の心理学がどういった分析を「夢」にくわえているのか知るよしもないのですが、chikaのスタンスは、「夢」に予知などの神秘的な要素を見いだすことなく、単に生理現象としての「それら」を眺めているだけです。

 ただし「物語」を紡ぐためには「夢」は必須アイテムだと考えています。ミヒャエル・エンデの『はてしない物語(ネバーエンディング・ストーリー)』などの長大な作品から、荘子の哲学的な「胡蝶の夢」まで、夢の果たす創作への役割は今も昔も変わっていません。
(chikaも夢の中で、日常生活では思いもかけぬ人とベッドを共にして、その息苦しさの余りハッとして目覚め、、オッと関係ないか、、)
 さらに「夢」の雰囲気は「怪談」や「神話」のもつそれと共通点が多いような気がします。共通点を一言でいえば「そこにそれは(在る)のにディテールがない。」ということだと思います。
 逆に「神はディテールに宿る(God is in the details)」という有名な言葉を残したのは、近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエですが、事物自体のパワーが増すのはディテールの密度に仕掛けがあり、建築においてはそこに人間の恣意(デザイン)が働くとしたわけです。
(例えば件の思いもかけぬ人に夢の中で生フェラをしてあげてもおチンポの味はしないのに、相手が気持ちよくしているという事実だけはしっかり、、、現実ではおチンポの味は人によって微妙に違うし、chikaの舌使いがヘタだと文句をたれる馬鹿者が、、、。)
 ところが皮肉な事に、このミース・ファン・デル・ローエ氏の造った建築物を実際に見たことがないchikaには、そこに宿る「神」が体験できないわけです。逆に今夜「 ミース・ファン・デル・ローエ氏の建築物の中を彷徨っている自分」の夢をみることは出来るし、そこで実物の「宿った神様」にだって出会えるかも知れない。

 要はそのディテールを一番誤魔化しやすいのが「文学」の世界だったり「絵画」「映像」の世界なんですよね。CG映像なんかはイメージ上のディテールをどんどん積み重ねていって現実に近づくわけなんだけれど、実はこれは「虚構の上に立つ現実」の密度を上げるという技術であって絶対に本物にはならない。これからは「悪魔はディテールに宿る」とでも言い換えましょうか。

PS この一文を書いていて、chikaがWeb上で一番最初に発表した短編が、自分自身の罪深い「夢」から着想したものである事を思い出しました。
『恵子さんは、薄暗いプレハブ小屋の中で半身を起こし、ヌラヌラと光った目で僕の方を見た。声は出そうとしない。声を出すことは今まで既に何度も試してみて、今はもうすっかり諦めているのだろう。 それでも不自然に押し広げられた唇と、赤いゴムボールの接点辺りは、唾液で濡れていた。僕は自分の指で、それをすくい取って舐めたらどんな味がするだろうと一瞬考えて、それから直ぐその不埒な考えをぬぐい去った。』・・・「生き埋め無理心中」という題名です。
 文章中のボンデージ描写は創作パートで、コアになる「焦がれ人と密着した状態で生き埋めにされて腐っていく」状況は、当時chikaがよく見ていた「夢」なのです。(怖?っ)