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 久しぶりに椎名林檎が聞きたくなってレンタル・ショップに寄った。DVDの普及のお陰で以前には余り置かれていなかったミュージッククリップがDVDで豊富に用意されている。ここ数年のポップスは、映像と一緒に聞くのが一番正しい鑑賞の仕方ではないかと一人密かに思っているchikaとしては、勿論、林檎もDVDで借りた。
 「本能」も「罪と罰」も大ヒットしただけに曲・映像とも今見直しても秀逸。
 って言うか、冷静に考えるとあーゆー曲がヒットチャートの上位にあったと言うことも、TVという媒体を通じて公然と流れ続けたことも、とっても不思議な気がするんだよね。だってアルバムの題名が「性的ヒーリング」なんだよ。そんな一方で、モー娘ユニットの紡ぎ出す白痴サウンドが席巻する国でもあるんだよなぁこの国は、、。
 女子バレーの試合にジャニーズ事務所の若い子達をつぎ込んだかと思えば根性根性の「新・東洋の魔女」だって?そりゃ負けるよ、、何一つとしてこの国の背景には本物がないんだもの。
 おっと話を元に戻して林檎の話だよね?。ミュージックの世界にSMとかボンデージの要素が取り入れられ始めたのはいつの頃なんだろうか(ちなみに林檎の初期プロモには、あの有名なガラスをキックで割る風俗看護婦さん以外にも、胸元に亀甲縛りそのマンマが覗いているのがあったり、両手を縛られて恍惚とした表情で馬に引き吊りまわされるのがあったりする)?
 やっぱマドンナが大きいのかなぁ。おっぱいロケットのボンデージ・ファッションのデザインがゴルチェなんだもんなぁ、、。(あっ、、先生っゴルチェは狡いと思います。自分がフェチ世界の住人でビザールファッションのデザイナーやっててもいいくらいなのに有名ファッションデザイナーの顔してビザールシーンをつまみ食いしてるんだから。ウォシャウスキー兄弟・兄ラリーも同じだけどね、でも彼は性転やったから許す。うふふっリンダ・ウォシャウスキー。)
 林檎なんかを見てるとchikaはマドンナより、ブロンディのデボラ・カーを思いだしちゃうんだよね。思い出すって言ってもリアルタイムの曲じゃなくて半ば彼女が伝説化した姿なんだけど。(例えばクローネンバーグ監督の『ビデオドローム』に主演してる彼女とか。)
 彼女って領域としてはパンクなんだけど、ただパンクだけじゃ売れないよね、結局、どこがコマーシャルになってたのかと言えば「性を商品化」した所でしょ。
 構造的にはマドンナも同じ、、過激なんだけどやってる事は結局「性」を商品としてパッケージにして音楽を添えて売りに出してるわけよ。
 非難してるわけじゃないんだよ、彼女らって「安く」売っていない所が偉いと思うんだ。
 ブルセラショップで染み付きを売ったり出来るのは買い手の性的ファンタジーと中間搾取層の小ずるさのお陰なわけで、売り手がクリエイティブな付加価値で自分のパッケージをデコするわけじゃないし、それと比べると微妙に世界が違うよね。
 でもな?ブリトニーとかはどうなのかって言うのがあるよね。あの子は自分自身を商品にしてるのかな、、だから若い女の子に受けるんだって?
 それって駄目だと思うよ。自覚してんなら別だけどさ、、えっ自覚してないからいいんだって?
 そうか、大昔はさ、女の子のデホルトとしてお人形さんみたいになりたいってのがあったけど、今はプレィボーイのグラビアヌードモデルになりたいのかぁ、、。でもそれって駄目なんじゃないの、、。